2009年12月01日

"*ハロー、プラネット。"について考える。

(しばらく前に書いたものですが、なぜか投稿しておりませんでした。。)

"*ハロー、プラネット。"について考える。

http://www.youtube.com/watch?v=_dlyIyfd9s0&feature=related
(オリジナルはニコニコ動画ですが)

ニコ動に大量にアップされているボーカロイド楽曲は、そのほとんどが冗長なオタクの独り言を聴かされてるみたいなものだけれども、そのうちの何パーセントかは、明らかに違っている。一線を越えている。その好例が、この*ハロー、プラネットだ。

ボーカロイドが世に出て、愛好家たちがいつしか見いだした共通のテーマは"人間でない「わたし」の歌う歌"というものだった。「歌う機械」という夢は、人間を模倣することをやめた。

"*ハロー、プラネット。"は、終末を迎えた世界でミクが一向に芽に出ない植木鉢を抱えて(頭にのせて)旅をする物語である。僕はこの作品を見ながら、カート・ヴォネガットが「スラプスティック」で描いた絵本のような終末のことを思い出した。ハイホー。そして、ボーカロイドが歌うことでSF的な筋立てがリアリティを持つというからくりに気がついたとき、愕然としたのだった。(特に、ミクがスフィンクスのなぞなぞに答えられない場面は秀逸。)

ファミコン世代のオプティミズムといって批判する人、あるいは感覚的に受け入れないという大人たちもいるだろう。でも、僕たちはこうやって先に進むしかできないのも事実なのだ。終末論もギリシャ神話も、学校で習う前にRPGで知ってしまった世代がもう存在している。

これからは、私たちが「歌う機械」のように歌おうとするのだろう。


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2009年11月29日

木津茂理さんの新しいアルバム

木津茂理さんのことは以前から何度かご紹介してきましたが、このたびソロデビューのミニアルバムをリリースされました。実は僕、レビュワーの名目で発売日前にフライングで聴かせていただいたのですが、これが非常に美しい音楽です。Realtokyoのbooks/DVDのコーナーに記事を書きましたので、どうぞご覧ください。先日の「つるとかめ」のライブも楽しかったですが、ソロの作品の「ひとりアカペラコーラス」も素晴らしいです。

追記(12月5日):マガジンにアップされた原稿、こちらも置いておきます。

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木津茂理:ジャパニーズ・ヴォイス【CD】

「つるとかめ」での活動も注目される民謡の歌手、木津茂理が「子守唄」をテーマにミニアルバムを作った。伝統に深く根ざしつつも常に新鮮で現代的な響きを求めてやまない木津は、子守唄の本来もっていた多義性や豊かさを損なうことなく、その可能性を大胆に拡げてゆく。特にM1の「竹田の子守唄」のひとりアカペラコーラスは素晴らしい。翳りのある低音によって支えられるハーモニーが妙なる響きを形作り、私たちに彼女の「ジャパニーズ・ヴォイス」が辿ってきた果てしない旅の行程を、そして到達した高みを示してくれるのだ。

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2009年06月22日

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画展」

川村記念美術館で開催されていた「マーク・ロスコ 瞑想する絵画展」、会期終了間際になんとか行くことができた。世界に散らばっているシーグラム絵画を集めて体験できる機会はもう当分ないだろうと、つまりは彗星とか日食とか、珍しい天文現象と同じような気分でしたが・・。

シーグラム絵画の契約破棄の実情やテートへの寄贈をめぐるドキュメンタリー的な展示もあったし、それはそれなりに興味深いものであったけれども、やはり肝心の絵そのものが素晴らしかった。

今回、ロスコの赤から僕はしきりに血の色、とくに母の闘病時にみたさまざまな血の色を鮮烈に思い出していました。1995年だったか木場でいくつか同じ絵を見ているはずなのですが、そのときはもっと穏やかな印象だったものが、今回は息苦しくなるくらいのつらさがありました。

悲劇的で痛々しくて、ほの暗い。

でも、僕にとってロスコの絵は鑑賞者に重くのしかかってくるものである一方、同時にその深みで自尊心や誇り、あるいは「悲しみ」のもつ豊かさや広がり喚起してくれるものでもありました。

その前に立つと自然と厳粛な気分になってしまう、数少ないもののひとつ。

作品に向かうということは、鏡を見るようなもので、だから、それを感じとるような体の変化が自分にあったということを、僕は"a small good thing"といって悦んでよい、でしょうか?






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2007年09月17日

ミノタウロス

最近、小説の話をしておりませんでした。

さて、発売からもう数ヶ月でしょうか、
ようやく佐藤亜紀「ミノタウロス」を読了。

実はこの作者のデビュー作「バルタザールの遍歴」は、たぶん高校生だっただろう時、ファンタジーノベル大賞受賞の雑誌でいちはやく読んでいて、なんと成熟した新人作家なのだろうと驚愕した覚えがあったのだ。

「ミノタウロス」。ピカソですよね。はい。
これはまあ、なんとも酷い、ひどい、おはなし。

ともかく凄惨で、とことん狂っていて、でも、その底で、おそろしいほどのヴァルネラビリティが逆照射される。「ヒューマニズム」なんてものが全く役にたたない場所で、獣性の奥から何かが垣間見える。圧倒的な「力」の描写にうたれ、そのあと、凍り付くほどの痛みが音もなく押しよせる。

ラスト数行でそこまでずっと1人称だった物語がくるっと回転する。その瞬間、この物語は、安全な場所にいたはずの読者に手渡されてしまう。

「小説を読む」ということの本質的な楽しみ。







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2007年04月08日

恒例の読書

幸子。
雪子。
妙子。

さて、何のことでしょうか?
今年はちょっと読み始めるタイミングが遅れて、読了したころ、桜はすでに散ってしまっていました。



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2006年11月20日

schefer

金曜日の夜、聖心女子大学で行われたマリー・シェーファーの講演を聴きにいってきました。

予想に反して、サウンドスケープ論の話ではなくて、自作の解説(作品のことを本人はプロダクトといっていた、どういう意味だろう?)が中心。彼の自然の中で演奏される作品群はアカデミックな現代音楽の世界で話題になることは少ないし、資料も少ないので、貴重な機会だったのでは?と、思う。湖をとりかこむ12本のトロンボーンの作品にとても興味を惹かれた。湖面が冷えていて、音の伝わる速さが湖水すれすれと上空で違ってくるので、音響のディフラクションがおこるのだそう。どんな体験だろう?

講演会のあと、少しだけ本人と話をすることができた。
そして、ちゃんとサインをもらってしまったミーハーな私でした。

*****

昨日から急に冷えこんでまいりました。
体調崩さないよう、お互い気をつけましょう。

*****

曲ですか??
やってますやってます。(ソバヤノデマエ)。



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2006年03月09日

Catch-22

読了できるか甚だ疑問ながら、Joseph Hellerの"Catch-22"を読み始めました。
1ヶ月くらいかけてのんびり読み進めようと思っています。




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2005年12月19日

木津茂理ソロライブ

木津茂理さん(http://www.shigeri.jp/)のライブを聴きに、
浅草のギャラリーエフ(http://www.gallery-ef.com/)へ。

江戸時代(慶応4/1868年)に建てられた土蔵を改装したギャラリーは、
響きもよく、とても素敵なところだった。

20人ほどのお客さんでいっぱいになった蔵の中、そのかすかなで上品な残響を感じながら、インティメイトな音楽とお話を聴く、とても贅沢な時間だった。もちろんノンPA。

木津さんは唄い、お三味線を弾き、太鼓や酒樽までも(!)たたいてしまう才媛なのだけど、実は僕は生のライブを聴いたのははじめてのこと。

「つるとかめ」の活動のCDを聴いたときにも思ったのだけど、この人の唄は、なぜか痛い。具体的に体のどこかを切られるような、そういうフィジカルな痛みがある。
決して暗い声ではない、むしろ明るく開放的な声で唄う。
にもかかわらず「痛み」を感じる。そして、今日僕はふと、その「痛み」は「悼み」と言い換えてもいいのではないか、と思った。何曲か歌ってくれた子守唄が特に印象深かったのだけど、それも、優しさと痛み(悼み)が同居していたように思う。

唄と唄の合間に、それらの唄への思いや経験を話してくれる。
お話が一段落して唄にうつるとき、表情が一瞬のうちに変化する。笑顔を形作っていたはずの口がいつのまにか唄うための口に変わっている。短い時間のグラデーション。

‥‥‥‥



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2005年12月06日

What does music mean?

Leonard Bernsteinの"young people's concerts"のDVDを入手した。

中学生のころ、バーンスタインの「音楽のよろこび」という本が我が家にあって、
子供ながらに僕はその本がとてもお気に入りだった。
なかでも、「転調」という概念を説明する部分。アメリカ国歌を題材にとりバーンスタインがそれを次々と転調させていく、その手際の鮮やかさに感激したものだった。

"young people's concerts"も、「音楽のよろこび」同様、バーンスタインが若い聴衆に向かって音楽の可能性や仕組みを語りかけるTVプログラムだ。こちらは、ニューヨークフィルとバーンスタインの黄金セットで。
昨年にDVD化され、すぐに日本語版がでるだろうと待っていたのだけど、一向に出る気配がないので、とうとうアメリカから買ってしまったという次第。

8枚組、かなりのボリュームです。

初回のテーマ"what does music mean?"は、音楽の本質にわかりやすく迫っていて感動的ですらあった。
"No matter what stories people tell you about what music means, forget them."
"Music never about things. Music just is .

どんな物語が音楽の意味するものとして語られたとしても、それを忘れてください。
音楽とは「何か」についての説明ではない。音楽は、それ自体に意味があるのです。

わ。こんないい加減な訳でいいのかしら?

ともかく、音楽が「物語」や「絵」を描写したものではない、それらはエキストラだ、作曲家がそういっただけなのだよ、ということをバーンスタインは強調している。ムソログスキー「展覧会の絵」の「キエフの大きな門」は「ミシシッピ川の雄大な流れ」といってもみんな納得するでしょう?と。

それなら、音楽の意味はどこにあるのか?それは、「エモーション」を喚起することなんだ、しかも音楽独自のやり方で、、、、とこのように議論は続くのだ。

すごく本質的な議論。

少し冷静に言うなら、この番組全体について「クラシック音楽」の枠組みのなかでのみ音楽教育を展開していいのか、という指摘も当然あるだろう。(初回からウェーベルンが登場していたりもするのだけど)。だけど、この初回の「音楽の意味」をめぐる議論は、その枠を超える可能性をもったものであることは間違いない。

ypc.jpg












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2005年09月22日

北斎→千疋屋→LUSH

北斎の展示を観に、太田美術館@原宿へ自転車で。
代表的な富士の作品以外にはあまりきちんと観たことがなかったので、じっくり観てしまった。前後の時代からorへの影響を知るための資料も同時に展示されており、なかなかに興味深い内容でした。当時から、富士をモチーフにしたデザインの構図集のようなものが流通していたのね。江戸時代も楽しそうだなあー。最晩年あたりに書かれた「羅漢図」には、僕の持っている北斎イメージとは違う不思議な力を感じ、しばし無言で凝視してしまう。

その後家族(母、姉)と3人で千疋屋でおそいランチ。左側のテーブルには「出世する条件」についてあれやこれや議論する中年女性ふたり、右側のテーブルには次にどこの温泉地にいくのか机の上にガイドブックをたくさん拡げて検討をする老年女性ふたり。要するにそういう時間帯だったってことですね。

夜はplopというのレーベルのライブを聴きにLUSHへ。
僕のCDをリリースしてくれているcubicmusicとも関わりの深いレーベルで、集客もまずまず、いい感じでした。出演者のひとりのいけてるドラマーのお兄ちゃんと話したり、asunaくん、トイさんなど、プチご無沙汰な人々とも少しだけおしゃべり。
(あー、いちいちリンクつけておきたいところだけど、面倒なので、グーグってくださいね)

しかしライブハウスから帰ってくると服がとんでもなくタバコ臭いんですけど。!
これなんとかならんかなー。
10月16日のイベントは禁煙にしたいかも!(や、アサヒビールがNG出してきそうな気も・・)







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2005年08月07日

春は馬車に乗って

昨夜、急に昭和初期の日本語が読みたくなって本棚を物色。
横光利一がいいかな、と思って短編集を選んだ。
「春は馬車に乗って」、「微笑」、「機械」。

どれも素晴らしい。
横光も川端も、実は短編によいものがある、と思ってる。

そうだ、いきさつを書かなくちゃ。

ネットで、エミリ・ブロンテの「嵐が丘」のことを調べてたんだ。
なぜかというと、今年の夏休みはイギリスにでもいこうかと思っていたからで、、そこから、

→水村美苗「本格小説」(「嵐が丘」を下敷きにしている)
→水村氏の問題意識でもある英語スタンダードな社会への批判、日本語の文学の弱体化
→ああ、そういえばちゃんとした日本語読む機会が少なくなったなあ、
→冒頭につながる。

と、こういうわけ。
ネットで情報を漁っていると、気がつくと当初の行動と全く別のところにいたりする。

ときにはこういう夜もいい。だけど、「よい日本語の小説を読む」という行為は、「勝ち組」を目指すことに忙しいこの社会のなかで「役にたたないこと」として隅に追いやられていくばかりなのだろう。グローバル化の代償はこんなところにもある。

スイトピーが届く場面は、深くえぐられるように、美しい。



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2005年06月25日

ミスター現代音楽

ミスター現代音楽

シュトックハウゼンの講演とコンサートに行った。
チケットをプレゼントしてもらったので、2晩連続で。

"リヒト/ビルダー"は緻密に構成されたまさに「いわゆる現代音楽」のお手本のような音楽だった。20年前にはこういった響きが前衛音楽の必然だったのだろう。50年代60年代にヨーロッパで作曲を志すということは、現代の日本にいる僕らには想像もつかないような類いのシリアスな問いかけがあったはずで、それに対してシュトックハウゼンは一貫した態度で答えを出し続けている。この作品はその最新版ということか。際限なくリハーサルをしたとのことだが、演奏の精度もとてつもなく高いものだった。

「少年の歌」「テレムジーク」は懐かしさとともに、少し新鮮な印象を僕に与えてくれた。昨今の「音響系」などと呼ばれる音楽のひ弱さに比べて、これらの音楽の強度は確かなものに思えたのだ。

でも。

どちらの音楽も、「今」、僕自身がこころの底から欲しいものではなかった。
過去に憧れを感じた対象ではあるのだけど、「今」の自分がいるのは同じ場所ではない。
そんなことを思っていた。

終演後、巨匠はなんどもなんどもカーテンコール(というか、客席におりては舞台にあがり、を繰り返していたのだけど)を受けた。大喝采を聞きながら、僕はちょっと複雑な違和感を覚えていた。

なぜなら、拍手喝采を送るひとたちは、音楽ではなくて、「ミスター現代音楽」への賛辞を送っているように見えたからだ。偉大な「現代音楽神:シュトックハウゼン」に向かって。

90年代後半以降、クラブミュージックの一部、アドバンスドミュージックなどと呼ばれる範疇のアーティストが、しきりに現代音楽の作曲家へのオマージュを表明するようになった。それは、ライヒであり、ケージであり、ピエール・アンリであり、そして、シュトックハウゼンだった。それらは一種のルーツ探しのファッションだった。いや、ファッションとしてのルーツ探し、というべきか。

そして、シュトックハウゼンはふたたびカリスマになった。ヨーロッパのクラシック音楽の延長としての「前衛音楽」の洗礼を受け、それに心中しようという世代と、自分が大好きなミュージシャンが尊敬しているという理由でその偉大さを鵜呑みにする若い世代、そのどちらにおいても。

「シュトックハウゼン」の公平にして正当な評価が埋もれていることをあの拍手喝采が物語っているように僕には思えたのだ。

さて、僕自身はどこにむかえばよいのだろうか。そんなことを考えながら帰路についた。






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2005年02月18日

jazztronik, そしてTestPattern

ラジオ番組に呼んでくれたJazztronik(ryota nozaki)のCDがどっさりと到着!

圧倒されます。

そして、同じ日に、こちらは控えめに岡山からTestPatternの新作が。

どちらも僕にとっては貴重なものになるという予感がしている。
ゆっくり、何度も聴こう。

JazztronikはクラブDJとしても売れっ子のアーティストでその実力については今更説明の必要もないから、TestPatternについて少しだけ。村岡さんという人が中心になっているバンドなのだけど、その清澄な音は特筆すべきもの。なにげないフレーズ、どこをとっても新奇な要素はないのだけど、それだけにかえって音楽のピュアな楽しみを思い出させてくれる。


jazztro_test.jpg


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2004年12月05日

方法マシン公演

谷中のSCAIで方法マシン公演。
マシンの代表である鶴見幸代さんが招待状を送ってくれた模様。
ありがとう。

終演後、ちょっとだけ三輪さんと立ち話。

僕:「三輪さんも自作を演奏する団体ができてよかったですね」

三輪さん:「当初はそういう希望ではじめたのですが、今は、三輪アンサンブルということでなく、もっと広い意味が生じてくるはずだと思っています」

この人はやっぱり先生なんだなあ、と思った。
とても丁寧に話をされるし、芸術に対する真摯な姿勢には頭が下がる思いがする。


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びっくりだったのは、なつかしのKくん(女性)に会場でばったり会えたこと。
Kくんはもう10年来の知人で、僕がまだ大学生のころから、折にふれ、感覚のモノサシとしてきた人物。考えながら、きれいに生きているひと。たぶんまた何年か会う機会はないだろうと思うのだけど、どこかで繋がっている、不思議な存在。

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2004年11月20日

松井茂展覧会

知人で詩人の松井茂の個展を観にいってきた。
http://www.peppers-project.com/gallery/jp/index.htm
漢字の一、二、三、の組み合わせだけでできた「純粋詩」をプロジェクションしてあり、ほかに彼の詩についてのコメントを編集したカタログがおいてある。

プロジェクションされた詩は、ギャラリーの壁に投影されるのだけど、これが白いスクリーンなどを使っていないため、コンクリの壁の凸凹や、そこに残された様々な文字や図形(以前の展示の名残?)にオーヴァーラップするような状態になっていた。

異物混入、純粋さへの無作為の侵入。

松井茂はこの効果を十分計算しているはずなのだけど、それについて語らないはず。
(政治家だから)






posted by K.I at 05:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 鑑賞する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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